こんにちは。今回はワーホリ恋愛について書いていきますよ〜!
ワーホリや留学に行くと国際恋愛をしている方を多く見ますよね。
「私も国際恋愛してみたいけど、みんなどうやって出会ってるの?」
「国際恋愛の体験談を聞いてみたい」
こう思う方もいるのではないかと予想して、私がオーストラリアで実際に経験した国際恋愛についてブログに書いていこうと思います。
<オーストラリアのワーホリについて詳しく知りたい方はこちら>
出会いはファームシェアハウス
私が韓国人の元彼Aと初めて出会ったのは、2019年9月でした。
私のオーストラリアでの2つ目のファームジョブ、ブルーベリーピッキングのファームシェアハウスで出会いました。
私が最初にこのシェアハウスに来た時は、私以外ハウスメイトは全員韓国人でした。
Aを含めて男の子が4人か5人、女の子が2人いました。
しかも私は2人部屋に私だけ。ルームメイトもいませんでした。
ご飯は女の子たちと食べていましたが、数日後にその子たちは違うファームに移動してしまい、私は話し相手がいない状況に。がーん。
さらに魔の悪いことに雨が続き、デイオフが続く・・・
私は車を持っていないため、どこかに出かけることもできず。
ひたすら家で一人パソコンを触っていました。
そこでいつだったか、Aが一人でいる私のところに来て話しかけてきたのです。日本語で。
Aは、私がそれまで挨拶とかしても微笑むだけで私と話す気ないんだなーと思っていましたが、ただ英語が苦手だっただけみたいでした。
逆に日本語は普通に話せるという。アニメを見て自然に覚えたらしいです。
それはともかく。
Aが初めて話して来た内容は、「このアニメ知ってますか」
それからアニメやドラマについて色々と日本語で話すようになりました。
ファームシェアハウスなので、仕事も家も一緒。朝から晩まで一緒。
話す機会はたくさんありました。
ハウスメイトが増えてシェアハウスが賑やかになった後は、みんなが寝た後に2人だけで深夜3時頃まで話していた時もありました。
話し終えて別々の部屋に行く前に、ハグをされたりほっぺにチューされるようになり(私も受け入れてるんですが)自然と距離が近づいていきました。
告白はドラマチック?
10月の終わりがAの誕生日で、みんなでお祝いパーテイをする予定でした。
誕生日の前日にAから「俺たち付き合ってるってことでいいんだよね」と聞かれました。
その時なぜかすごく動揺してしまって、私は断ってしまいました。
当然、誕生日パーティーはギクシャク。
私はすごく後悔していました。やっぱり好きだなと。
誕生日パーティーの後、週に1度の掃除時間がありました。くじ引きで当たりを引いた2人は掃除をしなくて良いというルールでした。
なんと、その2人が私とA!
いやなんかすごいドラマかなんかみたいでした(笑)
私はAに散歩に行こうと誘い、そこで正直に気持ちを話しました。Aは私を理解してくれて、めでたく正式にカップルとなったわけです。
今こうやって書くのってなんだかムズムズしますね😂
別れはそれでもやってくる
ここまでロマンティク?な国際恋愛ストーリーを書いてきましたが、私たちは2022年12月に別れています。
ブルーベリーファームを辞めた後、2人でたくさんオーストラリア内を旅しました。
ラズベリーファーム、ブラックベリーファーム、アップルファーム、野菜ファーム、シトラスファームなどたくさんのファームジョブを一緒に頑張りました。
車を何回も買い替えながら、タスマニアやアリススプリングスなどをロードトリップもしました。
素敵な思い出がたくさんある一方で、苦しくて悲しいこともたくさんありました。
需要があるかはわかりませんが、私たちの波乱万丈な恋物語の一部(ネガテイブなこと)をシェアしたいと思います。人生って本当に色々なことが起こります。
衝突① 悪徳コントラクターの手伝い
最初に大きな亀裂が走った出来事は、コントラクター業の手伝いをしたことです。
私たちはコフスハーバーで韓国人がコントラクターをするブルーベリーファームで仕事をしていました。元彼も韓国人だったため、コントラクターたちと仲良くなり、次のシーズンのサブコントラクターをやらないかというお誘いがありました。
ワーカーを集めることが仕事で、英語が苦手なAには難しいだろうと私は最初反対していました。報酬も見合っているのか信じていなかったというのもあります。
そこでまずは意見が衝突。
彼は挑戦してみたいと言い切ったので、最終的には私が英語の手助けをしながらやることに決めました。
慣れないコントラクター業を手探りで頑張っていましたが、ワーカーは思うように集まりませんでした。そのもどかしさや「やりたくなかったのに」という私の思いは徐々に大きくなっていきました。
少人数ですがワーカーたちのお世話もやらなければいけませんでした。
家の調達・送り迎え・レントの回収・買い物への連れ出しなどなど。
もちろん私たちも普通のワーカーと同じくピッキングの仕事もしていたので、忙しさで疲れもピークでした。
また、徐々に韓国人のボスコントラクターの本性が見えてくるようになりました。ボスが集めたワーカーにだけブルーベリーがたくさんなっているファームで働かせ、私たちの集めたワーカーにはコンデイションの悪いファームを与えていました。私たちにコミッション(ワーカーの稼いだお金の数%)を上げるのが嫌だったからだと思います。
そのおかげで私たちのワーカーからは「全然稼げない」と文句が出る始末。せっかく来てくれたのに申し訳ないという気持ちと、ボスへの不信感が止まりませんでした。
ボスはAに「スーパーバイザーにしてあげる」という約束も忘れていました。意図的にだと思いますが。
私たちの事務的な仕事は増える一方で給料は入らない。
この状況に私はもう耐えきれず、このファームを辞めようと元彼に提案。友達で親しかったボスのことを信じていたAとの言い合いは続きましたが、今回は私の意見に最終的には同意してくれました。
この時、私は一人でこのファームを離れる決断もできたはずなのにしなかったんです。Aがコントラクター業を始めたいと言った時点でもそうです。私がAと一緒にいたいという気持ちを諦められなかったからです。それなのにAを心から信じていなかったという矛盾がこの結果を招いてしまったのだと思います。
詳しいコントラクター業についてはこちらを読んでみてください。
衝突② 友達との金銭問題
コントラクター業を始めた頃から、もう一つの問題が頭角を現しました。
それは、友達との金銭問題です。
(この話すごく長くなるので、嫌な方は飛ばしてください)
Aには韓国人の親友Jがいました。実はJもコントラクター業のオファーを受け、ボスと近い距離で働いていました。
AとJは元々お金をシェアして使っていました。Jは自分の銀行カードを無くしており、Aの銀行に2人の給料を振り込み、Aの銀行カードをJが持ち歩いていました。(いわばJがAのお金の主導権を握っている感じ)Aは気にしないでいましたが、私は気が気でなかったんですね。
給料も良くない中で、節約という文字は彼らにはなく、よく周りの人にお金を借りていました。(私もその中の一人。)
この状況は良くないと思い、私はAにJとお金をシェアするのをやめるよう提案。ここでも一悶着ありましたが、なんとかJからAの銀行カードを返してもらいました。給料もそれぞれの銀行に振り込まれるようになり、ひとまず一安心。
その後、Jは徐々に金欠。もちろん、Aにお金を貸してくれと相談するわけです。でもAもそこまで余裕がありません。結局Aからお願いされた私が貸すことになったのです。
前に貸していた250ドルもまだ返してもらっていない状態でさらに800ドル貸しました。800ドルの使い道は、「パスポートをなくしたから再発行のためにメルボルンに行く必要があるから)とのことでした。しょうがないなと思ったんです。その時は私もJと仲良かったし信じていました。
が、後から聞いた情報によると、なんとJと同行したJの彼女(正確には付き合う前)のメルボルンまでの旅行代やら食事代に使ったらしいんです。そう、彼女によく見せたかったんですね。これ私のお金でやることじゃないし、単純に私たちに嘘ついてお金を借りたというのが頭に来ました。
そこからだんだんとJに不信感を持つように。
Jはブルーベリーのコントラクター業が稼げないと思ったのか、ボスから提案されたのか分かりませんが、別の地域のストロベリーファームの手伝いをすることになりました。
地域移動するために車が必要だと考えたJ。
《車の購入するためにレンタカーでシテイまで行きたい→パスポートと銀行カードが必要→持ってない》という流れから、JはAにレンタカーの名義人になって欲しいと相談。
私はもちろん断固反対。
今まで貸したお金も返してもらってないのに、この人を信じられないと思ったからです。
これで私とAは大喧嘩。AはJを信じていましたから。数日間の言い合いを経て、ようやくJはレンタカーを諦め、なんらかの手段で移動していきました。
その後、給料日になってもボスが私とAの給料を振り込んでくれませんでした。なぜかというと、ボスがJに貸した数千ドルがまだ返ってこないから。つまり、ボスは私たちをおとりに(?)Jにお金を返すよう要求していました。私たちはいい迷惑ですわ、本当に。
ここでもJに連絡しましたが、答えはただ待ってくれのみ。
何度も何度も連絡しても返事がなく、私のイライラは頂点に。
数ヶ月後Jがようやく応答。その時に話だしたのはまるでドラマのような話でした。
たくさん稼げると予想していたストロベリーファームで思うように稼げず辞めた。その後、お金が尽きて彼女と二人で路頭に迷っていた。そこで通りすがりの韓国人に助けてもらい日本食レストランで働かせてもらうようになった。でもそこのオーナーは給料を払ってくれなかった。辞めようとしたら家の荷物を取り押さえられて命からがら逃げ出した。(結局それはオーナーに借りていたお金を返していなかったからという自業自得)
この話、あなたなら信じますか?
私は半分嘘だろうと思っていました。今までもたくさん嘘をつかれてきましたから。
でもAは信じきって、またまたJにお金を貸したんです。私の反対も押し切って。想像できると思いますが、めちゃくちゃ大喧嘩しました。
そんなこんなでJに貸したお金はトータル3,500ドルほどに。
それ以降、Jとの言い合いも耐えませんでした。
数ヶ月が経ち、Jが私たちが住んでいる地域に戻ってお金を返してくれると言ってきました。ちょうど私たちがこの街を出ることになっていたので、その数日前に会って話せることになりました。
「やっとこの争いが終わる」と楽しみに待っていましたが、約束の日になってもJは現れず。予想はしていましたが、色々と言い訳をつけて遅れるとの連絡が。結局私たちが元々この街を出る時間になっても来なかったんです。今この決着をつけないとと思い、私たちは予定の時間をずらしひたすらJを待ちました。
ようやくJが現れて、約束通りお金を渡してくれるはずが、、、、「今は持ってない」との一言。
なんだそれーーーーーー
お金を渡してくれると言うから待ってたんだぞ。渡せないなら事前に電話した時にそう言えただろ。
よくよく聞いてみると、Jの彼女の韓国のクレジットカードを使いすぎて今日お金を振り込まないとブラックリストに名前が載るから、今あるお金を振り込んだと。
また彼女かい。いやこれも嘘かも。もう何が何だかわからないーーーー。
そこには、もう一人の韓国人の友達も同席していました。彼も同じくJにお金を貸していた中の一人。普段は温厚な彼もその時は怒り爆発でしたね。私もいつになく英語が達者になってJに色々と言ってました。
もう修羅場。AはJを庇うので私にも怒りをぶつけてきたり、私はJの彼女に電話しまくったり、夜中の公園ですごいことになってました。(リアルに)
結局その時の結末は、Jが今住んでいるところのオーナーに1,000ドル借りて(負の連鎖)私と韓国人の友達にそれぞれ500ドルずつ返すというもの。残りの3,000ドルは韓国にいるJのお兄さんから銀行送金してもらうから数日間待ってくれと言われ、怒るのにも疲れていたのでそれで承諾しました。
それから毎日JにもJのお兄さんにも連絡し続けていましたが、毎回違う言い訳をつけられ約束は果たされないまま1ヶ月が過ぎました。
もうJと関わるのも嫌になり、3,000ドルは諦めJと縁を切ることに決めたのでした。
そこでもAと一悶着ありましたよ。AはJの親友でしたから。
なんて悲しい結末でしょう。
この時から、2度とお金の貸し借りはしないと決意しました。
今思い出してもドロドロすぎて壮絶なストーリーでしたね。
この話を通して言いたいのは、友達や家族であってもお金が絡むと関係が壊れる可能性があるということです。
暗い話で申し訳なかったですが、今一度自分へのリマインドとしてもシェアさせてもらいました。
衝突③ 価値観の違い
私たちの最大の壁は価値観の違いでした。
特に顕著にそれが現れたのは、車についてです。
私たちはオーストラリアでわずか1年半の間に4度車を買い替えています。
1台目:KIA ソレント
2台目:Holden フロンティア
3台目:Jeep グランドチェロキー
4台目:Toyota ランドクルーザー
分かる人には分かると思いますが、Aは大きな車を好んでいました。私は軽とか小さい車でよかったんですが、ドライバーはAだったので結局Aに合わせていました。2人で金額をシェアして車を買ったのも、今思えば良くなかったと思います。後から色々と問題になるとも知らずに。
大きい車となると金額はそれなりに高くなります。
車に詳しくなかった私たちでは、異国での中古車の売買にたくさんの困難が伴いました。
1台目は買った1週間後に壊れました。2台目は燃費がものすごく悪く、オイルリークもありました。3台目はフロント部分から騒音、修理は難しい。4台目は、エアコンが故障し動かない、燃費が悪い。
などなど、車に関していくら使ったか思い出せないほどです。
結局、後々言い合いになるんですよね。お互い妥協することがなく、頑固だったなあと今ではわかります。
車は一つの例で、他にも小さいものから大きいものまで価値観の違いが私たちの心を遠ざけていったのは間違いないと思います。
本当に数えきれないほどの喧嘩をしました。毎日のように。
段々と喧嘩もヒートアップして暴力的な言葉を言い合ってしまうことも。
彼は日本語が上手でしたが、やっぱり言語の壁があったことも否定できません。
ただ、国や文化・言語の違いよりも2人の人間性というか価値観のすれ違いが大きな原因でした。
そうこう過ごしているうちに、私の体調が悪くなり帰国を急ぐ形となりました。
私が日本へ帰国すると同時にも韓国へ帰国することに。
帰国した後も電話やラインで連絡をしていましたが、段々と頻度は減っていきました。
結局Aから別れを告げられ、私たちは破局。私の初めての国際恋愛は終了しました。
心の傷が私を強くする
Aに振られてから、随分長い間どん底にいました。
あれだけ喧嘩も絶えなかったのに、どうしたものか未練たらたらで毎日泣く日々。
手術や入院もあって、約半年間実家で引きこもり生活をしていました。
何度も前に踏み出そう、と思ってポジティブになっても数日後にはまた後ろ向きに。
こんなことを何度も繰り返しているうちに、ちょっとずつ乗り越えられるようになりました。
まさに3歩進んで2歩下がる、ってやつです。
今までの人生で初めての国際恋愛、こんなロマンティック(波乱万丈?)な恋愛をしたことがなかったので、心の傷は相当深かったですね。
でもだからこそ、それを乗り越えた後の自分はもっと強くなれた気がします。
ようやく決心したニュージーランド行き。
もう一度ワーホリに再挑戦してみようと、気持ち新たに出発しました。
多分ここまでが私の〈初めての国際恋愛(日本*韓国)ストーリー〉だと思っています。
自分を幸せに
国際恋愛に限らず、恋愛って本当に難しいですね。
私はいつも恋愛をすると他が見えなくなってしまって、結局自分で自分の人生を悲しくしてしまうんです。
そんな悲しみへの恋愛はもうしたくない、と思うのは簡単でも行動に移すのは一筋縄ではいかないもんです。
それでも少しずつでも自分を知っていける、自分を見つめ直すことができているのは良い傾向だと思っています。時間がかかってもいつかは自分を悲しませない恋愛ができるようになるんだと信じています。
ここまで私の国際恋愛について実話をシェアをしてきました。
どうでしょう?
国際恋愛したくなりましたか?それともその逆でしょうか?
誰もがそれぞれオンリーワンな生き方をしているので一概には言えませんが、ファームで出会って意気投合するというケースはたくさん見ました。
もし海外で恋を探すなら、ファームジョブに挑戦するのもありですよ😊
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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