ニュージーランドワーホリを終えて、日本に帰国しました。
今は実家で両親と過ごしています。
いつも私の好きなように生きなさいと背中を押してくれる大好きな両親。なんでも相談できる唯一の存在。30歳になってもまだ自分の道を見つけられないでいる私を一切見捨てず、そばにいてくれる大切でありがたい存在。
なのに、時々息が苦しくなるのはなぜなんだろう。
仲の良かった友達。連絡を取ることが減ってきた。久しぶりに会って話せる機会ができたのに、なぜ会うのが怖いと思ってしまうのだろう。
自分の道を見つけたいと思い、日本を飛び出すこと約5年。素敵な経験や大事な仲間ができたのに、行く前と何も変わっていないのではないかと心配になるのはどうしてだろう。
自分で選んだ道。新卒で入った会社を辞めてキャリアを捨てたのは自分。貯金を切り崩してオーストラリアに挑戦したのは自分。
でも、自分の選んだ道に自信も誇りも持てないでいるのはなぜ。
何をするにも、人の目が先に気になってしまう。
他の人と比べて自分を蔑んでしまう。自分の人生を嘆いてしまう。
誰かの特別になりたいと願ってしまう。誰かに特別な目で見てもらいたいと思ってしまう。
私はもともと悩みがちの性格で、見た目より繊細で、常に心配や不安が尽きなかった。
でもワーホリに行くと決めた時の決断や決心の強さは自分でも驚くほどだったと思う。
その時ほど、「何かに挑戦したい」と思えたことはなかったんじゃないだろうか。
2回目のワーホリに行く時は、「今の自分を脱出したい」という思いだった。悲しみも絶望も全てを底辺まで感じた後だったから。
ワーホリに行っている間は、もちろん言語の壁や文化の違いで苦しんだことはあったけれど、人の目や世間の声などを気にする必要がなかった。
それは、自分に集中できていたからだと思う。
日本にいると、日本語で話せるし、文化も習慣も仕組みを全てわかっているから、自分以外に注意が散漫してしまうのだろうか。日本にいると、周りに気を遣ってばかりの自分がいる。
日本だからとか場所は関係ないのかもしれないけれど、今こうしてモヤモヤしているのは事実。
食べたくないものを食べたり、
もらって嬉しくないものも喜んだり、
どうやったら相手が気を悪くしないか10分以上かけてメールの返信を打ったり。
相手が喜ぶように、相手の気分を害さないように、努めている。
本当は、心の中ではさ、
今食べたくない。
これは私には必要ない。
行きたくない。
自分がやりたいことをやりたい。
って思っている。自分の声は自分には痛いほど響いてくるから、知っている。
すごくシンプルなことなのに。食べたくないなら断ればいいじゃんって、思うんだけど、
それを自分の外に出すことができないというのも分かっている。
こんな小さいことなんだけど、それが積み重なると大きな心の荷物になる。
大切な人だから、相手を思いやる気持ちはもちろん必要。
だけど自分を犠牲にするのは違うよね。
自分中心のわがまま人間になってはいけないけど、自分を押し込めすぎるのも良くない。
今までもう何度もそう気づいてきたのに、また振り出しに戻ってしまう。
でもまた前に進めばいいだけ。
今この瞬間から、また自分の中で再確認をしよう。
何より大事なものは自分自身であるということを。
自分の意思や決断を尊重してあげよう。後から相手のせいにするのがもっと良くないから。相手の笑顔が見たいのは分かる。大切な存在なら本当の自分を見せても相手は笑顔のままでいるはずだから。
誰にどう思われようと、自分の人生は自分のもの。
自分が進むもの。
自分にとって特別であればそれでいいんだ。
だって自分の人生しか生きることはできないんだから。
自分の道、いまだにはっきり見えてない。だから不安だし誰かと比べて落ち込んでしまう。
でもはっきり見えないからこそ、これからどこにでも行ける。なんでもできる。
悩みがあるから人生は意味がある。
悲しいことがあるから楽しいことを嬉しく思える。
自分ではその重要性が分からないかもしれないけど、今まで歩んできた道があるから今の自分がある。
今日は少し落ち込んだ日になったけど、明日からまた明るく元気に頑張ろう。
こんな日もあるさ〜って。
自分を愛せる時まで。
何か感じたときにはまたブログに自分の気持ちを表していきます。
もしももしも、同じように悩んでいる人がいたら、1人じゃないよと伝えられたらいいなと思います。