オーストラリアワーホリについてはこちら (^^♪

ワーホリ2ヶ国・海外生活5年目|20代の日々を振り返る

当サイトの一部リンク先には、プロモーションを含みます。ご了承ください。

みい
みい

こんにちは!

この度めでたく(?)30歳になったみいです。

何者でもない私ですが、今までの人生を振り返っていこうかなと思います。

30歳という節目で、一度自分を見つめ直したい。
そして新たな人生の目標に向かって走りたい。

この思いを一時の過ぎ去る感情にしたくなくて、ブログに書き残すことにしました。

ワーホリ2ヶ国・海外生活5年目の私の人生経験が少しでも、これから海外へ踏み出したい方の力となれば幸いです。

そして、人生うまくいかないことだらけでどん底だった過去の自分に、その経験も必要だったんだと思えるきっかけにしていければいいなと思います。

グーグルアドセンス

30年間の振り返り

1年間の振り返りといってもとても大変なのに、30年間というとものすごく体力を使いますね。
それでもせっかくの機会ということで、軽く表にしてまとめてみました。

0歳
5歳将来の夢はパン屋さん
10歳陸上(長距離)に打ち込む
15歳勉強に打ち込む
20歳登山に打ち込む
22歳大学卒業・就職
23歳山口・神奈川へ転勤
25歳退職
オーストラリアワーホリへ出発
26歳オーストラリアワーホリ2年目
27歳オーストラリアワーホリ3年目
日本へ帰国
28歳入院・手術
ニュージーランドワーホリへ出発
29歳ニュージーランドワーホリ2年目
30歳
私の人生こんな感じでした

その場しのぎで生きてきた学生時代

私の学生時代の思い出は「勉強と部活」これだけ。
青春とか、輝かしいものは全くなかったと言っても過言ではないです笑

小さい頃から確実な夢や目標というものがなく、目の前のことをただ一生懸命にやっていました

小3から10年間やった陸上競技(長距離)で根気強さが培われたのか、
根気強かったから10年も続けられたのか、今となっては分かりません←

勉強面でも、自分で言うのもなんですが優等生でしたね。はい。
忘れ物はしない、宿題も必ずする、成績はほぼ上位。
体育と音楽はダメでしたが努力はしていました笑

小学生の頃から英語は好きで、音読とかするのが楽しかった記憶があります。

なのに文系には行かず、理系へ。確実に文系だと自分で分かっているにも関わらず。
自分の興味があることよりも自分の苦手なことに立ち向かって、それを乗り越えた時の喜びを味わうことに輝きを感じていたんです。(ちょっとよくわからないですよね)

陸上競技も、実を言うとやりたくなかったんです。
本当は家庭科部とか美術部とかがやりたかったんですよねえ(^◇^;)

本当の自分と向かい合うのが怖くて
やりたいことを楽しくやっている自分を受け入れられなくて、
他人の目線を気にするばかりで、
常に挑戦して困難を乗り越えていかないとダメだと、なぜかずっと思っていて、

その場その場で見つけた困難なことに全力で立ち向かうフリをして、自分を置いてけぼりにしていた学生時代でした。

そんなんだから、長期的な目標も夢も見つけることができず。

就職活動の時は本当に大変でした。
自分がやりたいことが何なのか、仕事にしたい分野はどれか、全く分からなかったからです。

それでもどうにかこうにか就職することができたのですが、【迷い】みたいなことをたくさん感じていました。

壁にぶち当たった社会人生活

食べることが大好きだという単純な理由で食品会社に入社しました。

会社にはたくさんの部署があり、私はその中で業務用スーパーの配属を希望しました。
通常の店舗業務(発注や在庫管理、パートさんの教育など)に加えてレストランのシェフに商品を営業するという仕事もありました。

営業よりも経理とか事務作業の方が向いていると自分では分かっていたのに。

店舗業務をしている女性社員が当時すごく少なく、私は女性でもできるんだと思わせたい(というか自分で思いたい)という思いが根底にあったのを覚えています。

店舗移動・転勤を4回し、たくさんの先輩社員・パートさん・お客さんに出会いました。
(たまに癖のあるお客さんや超絶厳しい上司もいたりしましたが)新人社員でミスばかりの私にもみんな優しくしてくれて、本当に人に恵まれた仕事環境だったと思います。

神奈川に転勤してからはディズニーランドに行きまくってた笑

月日を重ねるごとにできる仕事が増えていき、達成感や余裕も感じられるようになった2年目。

でも何だか毎日が憂鬱・・・
休みの日も仕事のことで頭がいっぱい・・・
何のために仕事しているのだろう・・・

仕事に慣れていくにつれ、迷いや不安が大きくなっていきました。

仕事は毎日全力で取り組みました。
休みの日は当時の彼氏と遊んでとても楽しく日々を過ごしていました。
給料や福利厚生など会社に対して不満も特にありませんでした。

なのに、なぜか、このまま何十年もこの仕事を続けている自分の姿が想像できなかったんです。

この仕事に対する向上心がなかったのかもしれません。
だけど生活のために働かないといけない、と妥協して仕事を続けていくのがどうも嫌だったのです。

学生時代からずっと自分の本心を塞ぎ込んで生きてきました。
本当にやりたいことがあるのに、自分にとって険しい道を進んできました。

が、この時だけは何か違ったんです。

そして、1年間ほど仕事をしながら迷い続けた結果、仕事を辞める決意をしました。

大決心して日本を飛び出す

仕事を辞めると決意したのは、ある映画を観に行ったことがきっかけでした。

それは、Mamma Mia! Here We Go Againという映画です。

(ABBAの歌がまたすごく良い!ミュージカル好きはぜひみてほしいです。)

私が退職後の進路に迷っていた時に、ちょうどこの映画がシネマ上映されており、ふらっと観に行ってみたのです。
するとその内容がとても前向きで、迷っていた私の心に光が差してきました。

《The life is short, the world is wide.》
主人公が言っていたこの言葉が胸に刺さって、「海外に行こう」と純粋に感じたのを覚えています。

小さい頃から英語が好きで、大学の頃も留学を考えた時期もありました。
それでも勇気が出ず諦めていた海外。

今がチャンスだと思って、海外で過ごせる術を探し始め、そこでワーキングホリデーという制度があることを知りました。

ワーキングホリデーは、観光も仕事も勉強もできる自由なビザ。

みい
みい

めちゃくちゃ魅力的なビザ!
これに決めた!

そこから退職・渡航前準備をすませ、2019年2月にオーストラリアへ出発しました。

オーストラリア最初の都市ブリスベン

\オーストラリアワーホリについて詳しく知りたい方はこちら/

https://jmstorybox.info/archive/category/オーストラリア-ワーホリ

挫折と傷心で心身ともにボロボロ

勇気を出して踏み出したオーストラリアワーホリ
憧れだった海外生活はやっぱり楽しいことだけじゃありませんでした。

最初は英語ができなさすぎて落ち込んだりしたけど、大好きな友達がたくさんできた語学学校。
ブリスベンで過ごした4ヶ月間は毎日が充実していて楽しかったです。

語学学校のイベントで、バイロンベイへ。カヤック楽しかった〜

語学学校を卒業後、ファームジョブを始めました。

青空の下で自然に囲まれて働くのが好きで、オーストラリアにいる間に10種類以上のファームジョブを経験しました。😃

アップルピッキングは辛すぎて1週間で辞めちゃいました・・・

\ファームジョブについてはこちらにまとめてます/

https://jmstorybox.info/archive/category/オーストラリア-ファームジョブ

オーストラリア2年目に突入したあたりで、私のワーホリ生活の雲行きが怪しくなっていきます。

詳しくはオーストラリアブログの方でそれぞれの記事にしているので、ここでは簡潔にお伝えします。

まあ、色々とありました。
日本でも経験したことのないことばかり。

まさに悲劇の日々でした。

「車の問題多すぎじゃない?」と思いますよね。
これは、本当にその通り。車のことで、当時の彼と何度もめたことか・・・

(色々トラブルはありつつも、私の一つの目標だったロードトリップができたのは嬉しかったです。)

真夏の砂漠のテント泊は辛かった笑

私も彼も車に関して詳しくなかったため、毎回故障や不良を見抜けず、購入後に気づくというパターンでしたね。(オーストラリアで車を個人売買しようとする方は本当に気をつけてください)

詐欺には遭うわ、お金を貸した友達には逃げられるわ、給料は払われんわで、もうお手上げ笑
その頃は銀行残高が500ドルもありませんでした。

金銭トラブルが続き、人を信じられなくなり、心は荒んでいくばかり。

せっかく海外に来たのに、仕事以外は部屋に閉じこもってばかりで誰とも話さず、英語力も落ちていく毎日。

めちゃくちゃ病んでいました←

カラバンパークでよく見かけた野生のうさちゃんだけが癒し

今までの人生で感じたことのないくらいのストレスを受けたのが原因(?)で、だんだんと腹痛がひどくなり、ビザはまだ残っていましたが帰国することにしたのです。

帰国してからもどん底の時間はまだ終わりません。(笑)

腹痛に毎日耐える
・病気判明し、入院・手術
・当時の彼にふられて大失恋
仕事もせず実家に滞在

この2年間は、悲しいことや苦しいことがたくさんあった時間でした。

周りの幸せそうな姿が羨ましかった、
何もできていない自分が悔しかった、
悲しくて何度も泣いていました。

そんな時間も今振り返れば、大事な人生経験だったと言えます。

そうやって感じるのは、完全に腐る手前で自分で自分を引き上げて、辿り着いたがあるから!

もう一度新しい自分で生きていきたい。
そう思ってからニュージーランド行きを決めるまでには時間がかかりませんでした。

成田空港にて

再出発を決めて2回目の海外へ

人生2回目のワーホリはニュージーランドへ。
オーストラリアの時とは違ってエージェントは使わずに、全て自力で準備しました。

2回目ということもあり、心の余裕さはありました。
が、失恋の傷が癒えず最初の数ヶ月はまだまだ泣く日々でした。

そんな時に支えてくれたのが、ニュージーランドで出会った友達たち
国籍も年齢も境遇も全く違うのに、分かり合え、励まし合った。

たくさんの良い友達に恵まれて、ようやく失恋から立ち直り、毎日笑えるようになったのが本当に嬉しかったです。

可愛い羊たちにも癒されました

ニュージーランドでの仕事や観光情報について他の記事に色々書いているので、よければ読んでみてください🎵

どんな時も自分次第

主に20代(社会人以降)の人生を振り返ってみました。

20代はほんとに悩みが尽きない毎日でした。
何度も希望を失ったし、自分の行く道を見失っていました。

それでも毎回どうにか前に進んでこれたのは、第一に両親の支えがあったから。
何があっても実家で温かく迎えてくれ、励ましてくれて、本当に感謝しています。

周りの応援や支えが力になったのはもちろんですが、
苦しい時に大事なのは自分を信じることだと、ようやく気づきました。

結局は自分次第・心次第

苦しい時はほんとに苦しくてネガテイブになるけれど、必ず時間は過ぎて、過去となる。

どん底だーと悩む時間を短くするのも長くするのも自分次第。
どうせ同じ時間を過ごすなら、楽しく明るく生きたいですもんね。

30代も悩むことばかりだと思いますが、その悩みさえも受け止められる大きな心を持てるようにしたいです。

これからのこと

ここからは、今後どうするのか・目標などについて書いていきたいなと思います。

まずは今の現状ですが、
私のニュージーランドワーホリは、あと1ヶ月ちょっとで終了になります。(泣)

正直とても悲しいし寂しいです。
ニュージーランドを離れたくないという気持ちが大きいです。

が、今の私ではニュージーランドでずっと暮らしていけるための方法がありません
ということで一度帰国して今自分ができることに取り組んでいきたいと思います。

ニュージーランドラストジョブはキウイファームでした!

私の将来の目標は、海外に住む(もしくは国際交流しながら暮らす)ことです。

その目標を叶えるため(近づくため)に必要なことはなんだろうと考えました。

・他の国でも生きていける(働ける)スキルや資格
・十分な英語力
・十分な貯金
・日本を出る準備、覚悟

今の私にはほぼ何もありません・・・

ということで、これから私がやるべきことはとてもはっきりしています。
資格取得!英語の勉強!お金を貯める!

では、日本に帰国して何をしようかと具体的に考えた結果、いくつかの候補が頭に浮かびました。

・もう一カ国ワーホリに行く(ラストチャンス)
・リゾートバイトをしながら日本を周る
・バイトしつつ、専門学校などでスキルや資格を習得する

もう1回ワーホリに行ってみたいという気持ちと日本で資格取得に励みたいという気持ち、どちらもあって迷っています。

何が正解か分からないですし、遠回りの道を選ぶかもしれません。

ですが、5年後・10年後のなりたい自分の姿を想像しながら、一歩ずつ進んでいけたらと思います。

どんな道を選んでも、どんな経験も自分の力になること間違いなし!

30代は、
日本のいろんな都道府県を訪れたり、海外旅行にもたくさん行ったりして、
見える世界をもっと広げていきたいです。

30代も自分なりに輝く人生を

30代になった抱負も兼ねて、今までの私の人生(主にワーホリとその前後)についてまとめていきました。

自分で自分を振り返るのってすごく大事なことだと改めて思いました。

今までのこと・これからのこと、たくさんの想いが詰まったを大切にしながら、1日1日を楽しんでいきます!

このブログを読んでくださった皆さん一人一人の毎日も笑顔で溢れるものになりますように・・・☺️

最後まで読んでいただきありがとうございました。

スポンサーリンク
ライフ
スポンサーリンク
みいをフォローする
LIVEMYSTORY
タイトルとURLをコピーしました